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歴史・伝統
佐久島西地区の盆踊り
●400年の伝統
佐久島西地区の盆踊りの起源は定かではありませんが、徳川時代の初めごろではないかといわれています。かつて海運で栄えたことから、江戸の流行歌や伊勢のお田植え踊りが伝わったという説もあります。100年ほど前までは弁財天前で行われており、その後現在の崇運寺境内へ会場を移しました。西地区には昔「六人集」という仲間衆がいて、踊りの前に羽織袴と裃(かみしも)を身につけて菅笠(すげがさ)をかぶり、腰には大小の刀を差し、口説き(口上)に合わせて櫓(やぐら)の周りを歩いたそうです。その後ろには提灯を持った祭礼部長と踊り手が続き、踊りの輪をつくりました。踊り手は浴衣姿で、笠や手ぬぐいで顔を隠していました。踊り手が誰かを見物人が言い当てるのも楽しみの一つだったとか。
●生唄で踊る風流な盆踊り
口説きと歌詞全文はこちらへ

盆踊りの唄は選ばれた特定の唄い手によって唄われ、次の継承者を定めて次々と受け継いでいく形をとりながら、今日に至っています。昔のスタイルそのままに、唄い手は櫓の上で生唄を披露し、踊り手はそれをぐるりと囲んで輪になり、唄に合わせて踊ります。現在唄われているのは「鈴木主水」。歌詞の内容は江戸が舞台なので、やはり花のお江戸の流行歌が伝わったのでしょうか。他にも「須磨の関守」「辨天様」の唄があるといわれています。


●「佐久島の恋人たち」の島巡り
盆踊りの唄にまつわる悲恋伝説 おしん茂市物語
江戸通いの船頭茂市は、ある日近海で時化に遭い、島の船宿に宿泊しました。そこで働いていた娘おし
んと恋仲になったのですが、やがて茂市は江戸へ向かう途中に遭難して亡くなってしまいました。身重
の体を抱え、世をはかなんだおしんは、大明神の岩先(島の南部)から身を投げました。二人を哀れんだ
島びとたちは、おしんが茂市から伝え聞き、好んで歌っていた唄を、盆に歌い踊って霊を慰めました。

島民展から
●お知らせ「島の風習展」
●お知らせ『貝紫と染』展

●リポート『日々の美』展
●「弁天様の誘い」リポート
●「弁天様の誘い」展
●「海の男・船頭重吉展」リポート
●海の男、船頭重吉展
●船頭重吉漂流之物語
●島の祭り展リポート
●島の祭り展
●いにしえの踪跡展リポート
●いにしえの踪跡展
●佐久島百景リポート
●佐久島百景
●島民展 島に残る民話展
●島に残る民話展リポート
島民展の歩み2000
1・佐久島の歴史文化展
2・佐久島の漁業史
3・農業と暮らし展
4・島にある指定文化財